|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 第 : [だい] (n,pref) ordinal ・ 歩 : [ほ, ふ] 【名詞】 1. a step 2. a stride 3. counter for steps ・ 歩兵 : [ほへい] 【名詞】 1. infantry 2. infantryman 3. foot soldier ・ 歩兵師団 : [ふひょうしだん] (n) Infantry Division ・ 兵 : [へい] 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy ・ 師 : [し] 【名詞】 1. (1) teacher 2. master 3. one's mentor 4. (2) the Reverend ・ 師団 : [しだん] 【名詞】 1. (army) division ・ 団 : [だん] 【名詞】 1. body 2. group 3. party 4. company 5. troupe ・ 韓国 : [かんこく] 【名詞】 1. (South) Korea ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country ・ 陸 : [りく, ろく] (adj-na,n) six (used in legal documents) ・ 陸軍 : [りくぐん] 【名詞】 1. army ・ 軍 : [ぐん] 1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops
第6歩兵師団(だい6ほへいしだん、、第六步兵師團)は大韓民国陸軍の師団の1つ。 == 歴史 == 第6師団の始まりは1948年4月29日に創設された第4旅団(初代旅団長、蔡秉徳大佐)で、同年11月20日に第6旅団に改称され1949年5月12日に師団に昇格した。 春川から洪川までの38度線警備を担当した。 1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると北朝鮮第2軍団の第2師団が春川に、第12師団と独立戦車連隊が洪川に侵攻した。第6師団は地形を利用した防御で北朝鮮第2軍団に損害を与えた。これにより春川の攻略は遅れ、北朝鮮軍の計画に躓きが生じた。この戦いで第6師団は「春川の岩」、「華の第6師団」と呼ばれるようになった。 1950年7月初旬、第6師団は安城付近から忠州までの約70キロメートルの範囲に展開して西部の第1軍団を援護した。 1950年7月中旬、各所で抵抗しながら後退し、15日に新編の第2軍団に編入された。 1950年7月下旬、尚州市咸昌で増援の第1師団と共に北朝鮮第1師団、第13師団と攻防戦を繰り広げた。 1950年8月2日、第2軍団の命令により洛東江を渡河して洛東江防御線の防御に就くが、翌3日に早くも北朝鮮第1師団が攻撃を開始し、第6師団は抵抗しながら後退した。その後、陸軍本部の命令で義城方面に後退して、右翼の第8師団の担当正面を肩代わりさせた。ここで新たに北朝鮮第8師団が加わった。第6師団は新寧まで後退し、ここで2個師団の攻勢を阻止した。 1950年9月初旬、北朝鮮軍の9月攻勢が開始され、第6師団は北朝鮮第8師団と交戦した。 1950年9月15日の仁川上陸作戦を皮切りに第8軍は攻勢に転移し、第6師団も翌16日に攻勢をかけた。最初は進展しなかったが21日に北朝鮮第8師団を殲滅して北上した。 1950年10月15日、38度線を越えて北進し先鋒隊が鴨緑江に到達したが25日以降の中共軍の第1次攻勢で隷下の2個連隊が包囲され 、開戦以来建制を保ってきた第6師団は壊走した。 1950年11月下旬、第6師団はクリスマス攻勢に参加するが、中共軍の第2次攻勢で再び壊走する。 1951年1月、第2軍団が解体されたためアメリカ第9軍団に配属された。 1951年4月、史倉里で中共軍第20軍の攻勢を受けて崩壊。 1951年5月、1157高地(龍門山)で中共軍第63軍を撃退。 1952年4月、再建された第2軍団に配属された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第6歩兵師団 (韓国陸軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|